建暦2年(1212年)旧暦1月25日に亡くなられた、念仏の元祖法然上人の遺徳をしのんで、勤める法要です。元来「御忌(ぎょき)」の呼称は、天皇の忌日にされるご法要の事でしたが、大永4年(1524年)に後柏原天皇により下された勅詔により、法然上人の忌日法要に限り特に「御忌」と呼ぶようになりました。この機会に、貴家先祖様のご供養を申し上げたく存じます。
古来より人形等には「魂が宿る」とされ、大切に保存されてきました。しかし、今日の様に物にあふれる時代においては人形も古くなったり、お家で保存しにくい状態等でお困りの方も少なく有りません。誕生寺では、法然上人の御忌大会に併せ人形等の魂抜きの作法を行い、慈悲深き観音菩薩様によってみ仏の浄土に転生されます様に懇ろに御供養させていただきます。
正式な法要名を「法然上人御両親御追恩二十五菩薩天童迎接練供養会式大法要」と称し、古く室町時代より始まり、現在、岡山県の無形文化財に指定されております。法然上人の御両親を御供養させていただく浄土宗唯一の大法要であり、日本三大練供養の一つに数えられています。
誕生寺本堂を極楽浄土にたとえ、山門手前300メートルほどに位置する六地蔵の祀られている娑婆堂を現世にたとえ、浄土門主御代理導師のもと二十五菩薩の来迎によって上人の御両親をお浄土へお迎えするという荘厳にして厳粛な儀式です。
毎年上人の、父君(時国公)・母君(秦氏君)を御輪番で御供養しております。また、当日は、浄土宗門徒はもちろん「病気平癒」「無苦往生」を願う人々で全国各地より多くの参拝者で賑わいます。
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お盆は昔から日本人の心に深く根づいた風習・行事ですが、その由来は、『盂蘭盆経』というお経に説かれています。
ある時、お釈迦さまが、コーサラという国の首都に近い祇園精舎にいたときのことです。お釈迦さまの弟子で「神通第一」の目連尊者が、仏の道に母を導きたいと思い亡くなった自分の母親のことを神通力を使ってみてみると、なんと母親は餓鬼の世界に落ちて、苦しみにあえいでいました。そこには、食べ物もなく、骨と皮ばかりに痩せ衰えた母の姿があったのです。目連尊者はすぐさま餓鬼道に下りていくと、神通力を使い、ご飯を持った鉢をあらわし、母親の前に差し出しすも、母がご飯を口にしようとすると、それはたちまち火となり、炭となり食べることができませんでした。
嘆き悲しんだ目連尊者は、お釈迦さまのところへ行き、どうしたらよいかを相談しました。
すると、お釈迦さまは、「多くの僧が90日間の雨季の修行を終える7月15日に、ご馳走を用意して、お経を上げてもらい、心から供養しなさい。」といわれた。そのとおりにすると、目連尊者の母親は餓鬼の苦しみから救われました。お釈迦さまはさらに「同じように、7月15日色々な飲食(おんじき)を盆に盛って、仏や僧や大勢の人たちに供養すれば、その功徳によって、多くのご先祖が苦しみから救われ、今生きている人も幸福を得ることができよう」と説かれました。
これがお盆の行事の始まりです。お盆には精進棚を飾って先祖をお迎えし、また菩提寺へ行ってお墓参りをして、数多くのご先祖を心からご供養いたしましょう。
ご家族お揃いで地蔵盆(お涼み)にお出かけ下さい。当日は、夕方6時頃から法要が始まります。平和祈念にご参加下さい。続きまして、チャリティーイベントがございます。当日はお抹茶接待もございます。
「十夜講」や「十夜念仏」などともいい、元々は旧暦の10月5日の夜から15日の朝まで、十日十夜にわたる法会でした。『無量寿経』巻下に「この世において十日十夜の間善行を行うことは、仏の国で千年善行をすることよりも尊い」と説かれています。お十夜は、お念仏の尊さを知り、感謝の気持ちを込めてこれをお称えする大切な法会です。
今日ではその期間も10日間から5日、3日あるいは1日と短縮されて行われていますが、この大切な念仏会に参加し、仏の国での千年の善行にも勝る善行を、ぜひ積んで下さい。
当日は午後11時頃より鐘楼堂にて、鐘を撞く事が出来ます。一年の煩悩を振り払い新年を迎えて下さい。当日より三が日期間中は、開運富くじ(1本500円)や甘酒接待もしております(無くなり次第の終了となります)。
毎月の別時念仏会はどなたでも自由に参加できます。2月のみ御忌大会日と兼ねて行います。