建久4年(1193年)熊谷法力房蓮生(くまがいほうりきぼうれんせい)が創建。天正7年(1579年)に宇喜多直家によって2代目の本堂が破壊される。現在の本堂は3代目となり、元禄8年(1695年)の再建である。
実心大徳によって元禄年間(1688〜1704年)に建立された。現在の阿弥陀堂は平成15年に浄土宗ご寺院をはじめ有縁の方々の協力により再建。
山門手前300メートルに御本尊として地蔵尊を祀っている娑婆堂があります。お堂の左右に
1.檀陀(だんだ)地蔵 →地獄道を化す
2.宝珠(ほうじゅ)地蔵 →餓鬼道を化す
3.宝印(ほういん)地蔵 →畜生道を化す
4.持地(じち)地蔵 →阿修羅道を化す
5.除蓋障(じょがいしょう)地蔵 →人間を化す
6.日光(にっこう)地蔵 →天道を化す
と名付けられた六地蔵を祀っている。お堂上部壁面には「賽の河原図」が施されている。毎年4月の第三日曜に奉修されるお会式では現世、娑婆世界と仮定される。
御本尊として毘沙門天を祀っています。当寺の毘沙門天は大和(現在の奈良県)の国にある信貴山より勧請されたものと伝わるお木像である。毘沙門天は仏法の護法神で、十二天の内の北方の守護神で福徳富貴の神とされる。
初代津山城主・森 忠政公(森 蘭丸の弟)より寄進をうける。建立は寛永8年(1631年)頃と伝わる。堂内には聖観音像を祀っている。当山第15代通誉上人が八百屋お七の供養をしたことから、別名「お七観音」とよばれている。
勢至菩薩を中央に安置し、その両脇に法然上人の両親の墓がある。ここには法然上人産湯の井戸がある。また、墓地には森大膳亮重政(森 忠政公の長男)と森忠政公養母である大野木殿(柴田勝家の娘)の墓がある。
昭和44年(1969年)新竣工された。館内には以前に本堂に安置していた「阿弥陀如来像」(立像)や安土法論の拝領品である「太閤釜」など数点の宝物が展示されている。拝観料はお一人200円となります。