法然上人御降誕900年

通説勢至降誕その1


 美作国(みまさかのくに)「誕生寺」は、浄土宗宗祖・ 法然上人ご誕生の地で、建久4年(1193年)上人の弟子となった 熊谷直実こと法力房蓮生法師によって、上人生家の跡を寺院に改めて開山された遺跡で、現在、岡山県の史跡にも指定されている。
  剃刀を飲む夢で懐妊 法然上人は久米の押領使(おうりょうし)、漆間時国(うるまときくに) 夫婦の一子として誕生され、上人の誕生時には幾多の伝説があるが母の秦氏の懐妊について

 子なきを嘆いて夫婦こころひとつにして仏神に祈り申すに、秦氏夢に剃刀を飲むと見てすなわち懐妊す。
 時国がいわく、「汝がはらめるところ、さだめてこれ男子にして一朝の戒師たるべし」と。
 秦氏そのこころ柔和にして身に苦痛なし、かたく酒肉五辛をたちて、三宝に帰する心深かりけり

 と上人の伝記である四十八巻伝のなかに記されている。
 この文面からも、時国夫婦は実に信仰厚い生活で あったことがうかがわれる。 ここ美作という所は、その当時より特に真言、天台の寺院が 多い所であった。
 時国の妻秦氏の弟である観覚得業は那岐山の天台宗、菩提寺の住職であった。 時国は秦氏を娶ることにより、義弟観覚が漆間屋敷にたえずおとずれ 仏法の話をきくことがしばしばであった。 こういったことで時国夫妻はしだいに仏教に帰依されて ゆかれたのであろう。 妻秦氏の剃刀を飲む夢、剃刀すなわち得度を意味するもので、 やがて生まれてくる子は出家すると予言しているのである。 また夫時国も「一朝の戒師たるべし」とよろこばれたことは、 ここに普通の武士とは違った一面がうかがわれる。 長承二年(1133年)4月7日に出生したのが、法然上人であって、 幼名を勢至丸と名づけられた。法然上人は、長承2年(1133年)4月7日に父・漆間時国と母・秦氏君の間にお生まれになられたのであった。