誕生寺は熊谷直実が師・法然上人が自ら刻まれた御影を持参したのがはじまりである。
鎌倉後期作と推定された阿弥陀如来立像の胎内納入に「法然上人御生所御本尊」の墨書がありこの像と当寺の創建との関わりが推定される。
永禄12年(1569)久米郡稲荷山城主原田三河守貞佐は御影堂を再建し、慶長9年(1604)津山藩主森忠政は寺領50石を与え、寛文5(1665)阿弥陀堂再建や元禄元年(1688)鐘楼堂再建など森氏一族の外護を得た。
元禄6年春に江戸・回向院、秋に京都・長楽寺で御影の出開帳を行い、その奉加金で同8年御影堂を再建し、同12年寺領は幕府の朱印地となった。
御影堂と山門は国重要文化財。毎年4月第3日曜日の法然上人ご両親追恩のための二十五菩薩練供養は岡山県重要無形民俗文化財に指定されている。